翻訳屋佐吉の生活と意見関東を離れ、北陸に古民家を購入したとある翻訳屋の田舎暮らし事始めと日々のつれづれ。 

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信用ならざる語り手  重訳  ドイツ語  

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信用ならざる語り手

2013/02/11[月]《 翻訳屋稼業 》
 小説の技法のひとつに「信用ならざる語り手」(Unreliable Narrator、「信頼できない語り手」とも)という叙述上のトリックがある。たとえばミステリーの場合、読者が自身で推理できるよう、謎を解くのに必要な情報をフェアに開示するのが本筋だが、中には重要な情報を敢えて隠しているものや、わざと読者のミスリードを誘うような書き方をしている作品もある。語り手が精神を病んでいたり、知識が足りなかったり、あるいは他ならぬ犯人だったり、といった体で書かれたものがそれで、そのような技法を総称して「信用ならざる語り手」と呼ぶのである。

 反則紛いの手法として「信用ならざる語り手」を嫌う人も少なくない。が、佐吉は決して嫌いではない。それどころか、そういう手の込んだ作品を好んで読む傾向がある。しかし、こと翻訳の原稿でそれをやられると、少々厄介なことになる。先日お話ししたドイツ語の英訳からの重訳案件が、まさにそんな案件だった。

 『訳語が適切でなかったり統一されていなかったり、語順がおかしかったり、微妙に舌足らずだったり』と、くだんの案件の原稿がいろいろと難のある代物だったことは前にもお話しした。しかし、それにもまして厄介だったは、その「適切でない訳語」の不適切さが、「もしかしたら、敢えてこういう云い方をしているのかも」と思わせるような微妙な不適切さだったことだ。たとえば、普通なら "unit process"(単位工程)と書くところが "single process"(単一工程)と書かれていたり、 "each" や "every" の方が適切と思われる場面で "particular" を使っていたり、特に因果関係もなく "and" や "then" あたりで単純につなぐべきところにわざわざ "therefore" が使われていたり。

 最初のうちは、それらに出くわすたびに「何か特別なニュアンスが込められているのだろうか」と訝しく思った。だが、それが何度も繰り返されるのを見るうちに、特に含みがあるわけではなく、単にくだんの独英翻訳者の癖なのだと気がついた。日本人が作る英文にしばしば日本人特有の誤りが見られるように、ドイツ人が作る英文にはドイツ人ならでの癖が出るのだろう、と、佐吉は勝手に納得した。幸いにして今回は、重訳だということがあらかじめわかっていたし、原稿にはある程度のボリュームがあった。そのことが、佐吉に「語り手を疑ってみては?」というヒントを与えてくれ、同時に、そのための材料を提供してくれた。そうして収まりの悪い文言が訳者の癖によるものだということに気づいてしまえば、以降、それを脳内で変換しながら訳していくのはさほど難しいことではない。これがもし何の情報も与えられず、端からネイティブの書いた英文と思い込んでいたら、無用な推測にもっと時間を喰われていたかもしれないし、また、短い案件だったら、訳者の癖とは気づかず、不適切な表現も強引に日本語に落とそうとしていたかもしれない。そう考えるとぞっとする。

 ともあれ、そんな厄介な案件も昨夜ようやく片付いた。そして、すぐさま納品した。世間は3連休だが、このあとの編集作業のスケジュールが逼迫しているとかで、「連休中でもいいから上がり次第納品してくれ」と取引先に云われていたのだ。そして、今日は早速次のお仕事。今度もまた和訳案件だが、前回と違って英国産なので、ひとまずは語り手を信用して良さそうだ。いや、そうでなくては困る。今度のは、筆者の癖が掴めるほど長い文章ではないのだから。


※ 佐吉イチオシの「信用ならざる語り手」の傑作。ただし、おそらく絶版。
エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死
スティーヴン・ミルハウザー / Steven Millhauser
岸本佐知子 訳

単行本 白水社 2003/08 Amazon
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2013/02/11 18:48 | Comment (2) | Site Map | Home | Page Top
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Comments


重訳の難しさ、面白さ

佐吉さん、はじめまして。仏・英→日の技術翻訳をしておりますじゅんなと申します。フランス在住、現在小さな翻訳家アソシエーションAPROTRADの事務を担当しておりまして、翻訳家を目指す学生や、社会人の質問を受けることがあります。その中で、「重訳」が話に上がりました。色々と検索していて佐吉さんの記事に。参考にしていただきました。これからも翻訳全般に関する記事を楽しみにしております。

じゅんな |  2013/08/29 (木) 16:49 [ 編集 ] No.90


コメントありがとうございます

じゅんなさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

こんな記事に、あるいはブログに、参考になるようなところがあったかどうかは疑問ですが、世の中にはこうして悪戦苦闘している翻訳者もいるのだ、というサンプルとして笑って眺めていただければ幸いです。これからもよろしくお願いします。

佐吉 |  2013/08/31 (土) 09:39 [ 編集 ] No.91

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