翻訳屋佐吉の生活と意見関東を離れ、北陸に古民家を購入したとある翻訳屋の田舎暮らし事始めと日々のつれづれ。 

この記事に含まれるタグ :
翻訳学校  翻訳学習  サン・フレア  フェロー・アカデミー  自分語り  

スポンサーサイト

--/--/--[--]《 スポンサー広告 》
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

http://countrytranslator.blog.fc2.com/?overture" target="_new edit

--/--/-- --:-- | Comment (-) | Site Map | Home | Page Top

翻訳学校で学んだこと

2013/02/04[月]《 翻訳修行 》
 佐吉が電機メーカーでの社内翻訳の職を辞し、フリーランスを志したのは2009年。それまで佐吉はおよそ翻訳の勉強をしたことがなかった。と云うより、翻訳の勉強の仕方を知らなかった。その後、佐吉が翻訳学校の門を叩いたのは、なによりその勉強の仕方を学ぶためだった。なお、以下しばらく佐吉の自分語りが続く。ウザいと思われる方は、ひぃ、ふぅ、みぃ……6段落目から読まれることをお勧めする。

 佐吉は元々機械設計の仕事をしていた。そして、(今こんな仕事に就いているからにはあたりまえだが)学生時代から英語は得意だった。社会人になって以降もそれなりに(一般的な意味での)英語学習は続けていた。折しも1990年台。バブルがはじけ、国内のどのメーカーも安い人件費を求めて海外進出に躍起になっていた頃で、佐吉のいた会社もご多分にもれず、英会話の講師を招いたり奨学金を出して通信講座の受講を奨励したりと、英語教育に力を入れていた。佐吉も何度かそれらのお世話になった。

 普段の仕事の中で翻訳の真似事をすることもあった。それは社内では珍しいことではなく、多かれ少なかれ英語を扱う機会は誰にでもあった。そんな中、佐吉の作る訳は周囲で比較的評判が良かった(飽くまで素人訳としてだが)。根が単純な佐吉はそれで得意になった。そうして、いつしか設計より英語力を活かした仕事がしたいと思うようになった。

 何年か希望を出し続けてようやく社内翻訳者のポジションを得た。だが、それ以前もそれ以降も特に翻訳の勉強はしなかった。会社での佐吉の翻訳スキルは、実務を通じて日英のさまざまな文書に触れるうちに自然に身に付いたもの、云わば習わぬ経を読むようなものだった。それゆえ、リーマンショック後の業績の悪化を受けて会社が早期退職者募集に踏み切ったとき、それに応募するに当たって佐吉が考えたのは、自分の力がほかでも通用するのか確かめておこう、ということと、これを機にちゃんとした翻訳の勉強の仕方を学んでおこう、ということだった。

 そうして佐吉は、いずれも通信講座で、サン・フレアの「速修講座:電気・電子英語科」とフェロー・アカデミーのマスターコース「フィクション」を受講した。受講の最大の目的は、上にも書いたとおり「翻訳の勉強の仕方を学ぶこと」。もとより通信講座を2つ3つ受講したくらいで翻訳スキルそのものが飛躍的に向上するなどとは思っていない。ちなみに、敢えて大手の翻訳学校を選んだのは、その方がより多くの情報が得られると思ったからだということは以前にもお話しした

 結果、佐吉が辿り着いた結論は、「翻訳の勉強とは、目的のジャンルの文章をとにかく実際に訳してみること」ということだった。それは、翻訳学校に通わずとも、また、通信講座を受講せずとも、ひとりでいくらでもできることだ。ちなみに素材は、なるべくなら原文と信頼の置ける訳文とがセットで入手できるものが良い。と云っても、別段難しい話ではない。文芸書なら邦訳も原書も通販サイトで簡単に手に入るし、実務翻訳でも、企業のWebサイトを渉猟すれば、日本語版と英語版とが揃って手に入る文書がいくらでも見つかる。それらを自分で訳してみて、手本となる訳文と詳細に比較・検討すれば良い。ただそれだけのことだ。

 「なんだ、そんなことか」と思われただろうか。たしかに云わずもがなのことかもしれない。しかし、実際に(ネットを通じて)まわりを見てみると、翻訳学校に身を委ねていればどうにかなると思っている人、つまり、ひたすら出された課題をこなし、講師に教わったことを一つひとつ覚えていけば、いずれはどんな原稿も上手く訳せるようになると考えている人が案外多いように思えるのだ。果たして本当にそうだろうか。いったいどれほどの知識やテクニックを身に付けたら一人前になれるのか。翻訳に「これだけこなせば仕事に就ける」というカリキュラムがあるのだとしたら、なぜ1年足らずで仕事に就ける人と、5年、6年と勉強を続けても芽が出ない人とが出てくるのか。むしろ佐吉は、翻訳学校での学習にゴールがあるとすれば、それは一定の知識やテクニックを身に付けることではなく、「他人に頼らなくとも独力で研鑽を積めるようになること」ではないかと考えている。誰かに「教わる」、「教えてもらう」というスタンスでいるうちは独り立ちするのは難しい。それは翻訳に限った話ではないだろう。

 また、それに伴って、他人の訳文を読んで、それが本当に信頼の置ける訳かどうか、手本にするに値する訳文かどうかを見極める力を養うことも重要だ。実際に翻訳の仕事に就けば、手取り足取り教えてくれる人などいない。自分の訳の良し悪しも常に自分で判断しなければならない。さらに云えば、翻訳学校の講師による訳例が常に正解とは限らないし、よく知られた翻訳書の訳がいつも名訳とは限らない。それらをいたずらに盲信するのは危険だ。何も足さず何も引かないのが理想とは云っても、訳文には必ず訳者の個性が現れる。どんなに高名な講師に師事していようと、講師の個性はあなたの個性ではない。

 結局のところ、佐吉が2つの通信講座を通じて学んだのは、「自分の訳と他人の訳のどこをどう比較すれば自らの翻訳スキルの向上につながるのか」ということだった。それが具体的にどういうものかをここで説明するのは難しい。簡単に説明できないからこそどこかで学ばなければならないのだ、と云って今回はお茶を濁すことにする。以上、「どこの馬の骨ともわからない三流翻訳者が何をエラそうに」と思われた方も多いだろうが、それでも、この拙文が多少なりとも参考になった方もどこかにいると佐吉は信じている。少なくとも佐吉はそうして、今、曲がりなりにも翻訳で口を糊しているのである。
関連記事

この記事に含まれるタグ : 翻訳学校 翻訳学習 サン・フレア フェロー・アカデミー 自分語り 

http://countrytranslator.blog.fc2.com/blog-entry-100.html edit

2013/02/04 23:58 | Comment (4) | Site Map | Home | Page Top
前の記事 : 重訳の季節
次の記事 : 信用ならざる語り手
翻訳者ネットワーク「アメリア」

Comments


ほんとにそうだと思います

おはようございます!おっしゃることほんとうにそうだと思います。修行ですね。参考にさせてもらいます。

comeonbro |  2013/02/06 (水) 06:52 [ 編集 ] No.78


コメントありがとうございます

comeonbroさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

上の文章、決して精神論ということではありませんが、普段翻訳者を目指して勉強されている方々を眺めていて「何か違ってきちゃってるんじゃないの?」と思うところを述べさせていただきました。ご覧のとおり拙い文章ですが、多少なりとも参考になるところがあれば幸いです。

佐吉 |  2013/02/07 (木) 12:16 [ 編集 ] No.79


お久しぶりです、佐吉さんのおっしゃること、
とてもよくわかりますよ~

私も翻訳者になるために学校に行くことはなかったです。
ほとんど勘と、読書が趣味だった若い頃に
やみくもに本を読んでいて、その中で
好きなタイプの文章、嫌いなタイプの文章が
明確にあったので、それを頼りに翻訳していました、
というか今もしています。
少なくとも、社内翻訳者になるまでに
どこかの養成コースに通ったことはなかったです。

フリーランスになって、ただ税金を持っていかれるのが
どうしても納得できないので
翻訳講座に通うようになりましたが、
なかなか学ぶことは多いです。
先生によって、自分なりに培った方法論や
コツなどを持っていらっしゃるので
その辺のお話があとで生きてくることもよくあります。
だから今は学校に通うのが息抜きでもあり
(誤訳、訳ぬけがあっても青くならなくて済むし・・・)
楽しみでもあります。
あと、翻訳学校で仲良くなった人が
ある大手エージェントの社内翻訳者であり、
その方がお墨付きでそのエージェントに紹介してくれて
登録させてもらったり、
人脈という面で、翻訳講座はなかなかよいと思います。

ただ、養成機関も商売なので、
なるべく多くの生徒さんを確保して
継続受講に持っていきたいので、
「一定基準を満たせば当社の登録翻訳者として・・・」
みたいなことを言って引っ張りますよねえ。
でも実際は年間1~2人くらいしか
登録できるレベルに達していないという内情も
よく耳にします。
翻訳学校に通うにしても、通わないにしても
自分でいろいろ考えて、努力することが欠かせない、
ということでしょうか。

佐吉さんの文章はとても明確でわかりやすいです。
誤解を招くようなあいまいな部分がないので
もともと非常に翻訳者に向いていらっしゃると思います。

マリママ |  2013/02/13 (水) 15:36 No.80


翻訳学校に通う意味

また返事が遅くなってしまいました。申し訳ありません。

翻訳学校に通う意味ということで云えば、上にも書いたように、カリキュラムのようなものにはあまり実効性があるとは思えないのですが、経験を通して学んだものを講師からじかに聞くことができるというのは大きいでしょうね。こればかりは独学で身に付けるのは容易ではないし、そのことが翻訳学校の最大のメリットと云っても良いかもしれません。また、ほかの学習者から刺激を受けたり、互いに情報交換をしたりというのもメリットのひとつでしょう。

とは云え、それをどう実践に活かすかは、やはりそれぞれの個人の問題、各人の姿勢の問題だと思います。「教わる」、「教えてもらう」という受け身の姿勢ではなく、自分から何かを掴もうとしてはじめてそうしたことが意味を持つのだと思います。それについては、考えを整理したうえでまたあらためてここでお話しするつもりです。

長文のコメントありがとうございました。

佐吉 |  2013/02/18 (月) 12:02 [ 編集 ] No.84

コメントを投稿する 記事 : 翻訳学校で学んだこと


  設定するとあとで修正や削除ができます。(任意)
前の記事 : 重訳の季節
次の記事 : 信用ならざる語り手
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。